日々のさまざまな支出は貧困家庭の親にとって悩みの種ですが、特に教育費についての悩みは大きいものです。日本では小・中学校は義務教育。高校も「公立高等学校授業料無償制」があり、公立高校へ進学すればお金はほとんどかからないのではとも割れるが、実態は異なります。
学校で使用する筆記用具、体操服、制服等は原則私費負担で、修学旅行費の積立もあります。実際にそれが原因で仲間と修学旅行に参加できなかったケースもあります。歩いて通えない学校であれば、当然交通費もかかえいます。部活に入れば、道具をそろえる費用や試合で遠征をしたり相当な経済的負担が強いられるのが現実です。
日本は家庭が「私費」で賄わなければならない部分が多い国
日本は教育費の公的支出が非常に低い国。教育に関する私費負担が非常に大きい国なのです。一定の学歴がないと安定した生活のできる職に就くことが難しく、高い質の教育を受けることはとても重要になります
OECDが発表した対GDPにおける教育機関への公財政支出、国や地方公共団体からの教育機関への支出 額割合は、2011年の数字でわずか3.6%。OECD平均の5.4%の約7割であり、比較可能な加盟国の中で最下位の数字なのです。教育機関への公財政支出において、日本は過去の調査でもOECD加盟国中常に最低グループに入ってしまいます。
※2014年4月以降の入学者は新制度の「高等学校等就学支援金制度」の対象となります。
教育と貧困連鎖の関係
学歴社会において教育費の私費負担が多いことは、貧困の連鎖を生む強力な要因となっています。私費でまかなう教育支出のうち大きいのは、習い事や塾。東京都には「受験生チャレンジ支援貸付事業 」のように塾費用の支援制度があるが、すべての自治体に同様の制度があるわけではなく、「お金がなければ塾には行けない」のが一般的です。結果、塾に行っている子と塾に行けない子との間に学力の差がついてしまい、その差が進学や将来の就職にも影響を与えてしまいます
貧困が一因となって引き起こされる「教育格差」は確実に広がっており、例えば国公立大学7校の医学部に合格した学生の出身高校データは、1981年には、該当する医学部に合格した高校生は公立高校出身者が多くいました。しかし2005年になると公立高校出身者は減り、私立高校出身者が大幅に伸びています。
この背景には一部のメディアが国公立大学への進学率で高校を評価するため、私立高校が国公立大学への進学に力を入れていることもあります。そして私立高校に通うにはお金がかかりますから、お金をかけて私立高校に通えない子は余程勉強ができないと医者になれない、という状況を生んでいます。お金をかけなくても頑張って国公立大学に受かればよい、とは言いにくい時代になっています。
夢を叶えるためにまず質のよい教育を受けること
例えば、お金が理由で欲しいものが買えない、手に入らないという場合もあります。貧困とは、そのようなことが限りなく積み重なっていくことです。
貧困家庭の場合、それがたった100円のお菓子であっても、子どもに買ってあげるかどうか悩みます。買い物に行くたびに、子どもは欲しいと言い、しかし親はお金がなくて買ってあげられない。こういう経験を積み重ねると、子どもはもう「買って」と言わなくなります。希望を口にしても叶えられない経験を積み重ねると、希望を持つことを諦めてしまいます。
お菓子を買ってもらえないこと自体は小さな出来事かもしれませんが、貧困家庭の子どもたちは、このように小さな願いが叶えられない経験ばかりをどんどん積み重ねていくことになります。結果、この経験の積み重ねが、子どもたちから「夢を持つ」ことを奪ってしまいます。
さらに、貧困層の子は、働くことへの意欲も低下してしまいます。貧困家庭の親は長時間労働をしていることが多く、生活保護を受けていることもあり、子どもが目にするのは長時間のパート労働を終えて疲れ果てたお母さんの姿だったり、働きに出ないお父さんの姿だったりします。親のそうした姿を見て育つと、働く意欲が低下してしまいます。
貧困家庭の子どもたちは、塾や習い事には行けない子が多い。家族で旅行に行く機会もなく、毎日の生活が家と学校の往復で終わり、関わる大人は親と先生のみ。非常に限られた空間で、限られた大人たちだけに囲まれて育つため、人との出会いや経験も不足しがちになる。学習支援ボランティアに参加して「大学生って、ほんとにいるんだ」言った子もいます。この言葉は、これまでのその子の生活環境で「大学生」に接する機会が全くなかったということを指しています。
どんな子どもも夢を持つ権利はあります。しかし、それが実際に叶えられないというのが現状なのです。
